私は君が代が好きだ

君が代 伴奏譜
14日の有楽町で君が代の斉唱を皆さんでされたとのこと。大人になるとなかなかそういう機会ってないんですよね。歌自体学校卒業後は歌わなくなりましたし。そこでちょこっと思い出したので「君が代考」など。

ある方(もちろん政治的にバリバリの保守派の方)のブログのオフ会で以前「君が代」についてチラッと話題になりまして、参加されていた方のお一人が「今の日本を思うとご先祖さまに申し訳なくて歌う気にはなれない」とおっしゃっておりました。分かるような分からないような難しいお話でしたが、単純な私は「音楽的には大好きです」と答えました。

以下の文章は、その後にそのブログ主の方にお送りしたメールの一部(と修正あり)です。吹奏楽を小中高大と齧った程度なのであまり詳しいことは分からなかったりするのですが。。。
~~~~~~~~~~
童謡でもポップスでも演歌でも洋の東西を問わず、現代の音楽のすべては西洋的な意味での「調」と「音階」があります。良くも悪くも西洋音階に慣れている私たちは、耳にする曲が「ド」で終わるものでないと「落ち着かない感じ」がします。(「曲が終わらない感じ」というか何と言うかうまく表現できません。)
現代音楽の原点である西洋の聖歌とか賛美歌などはほぼ例外なく「ド」で終わっていると思います。でないと賛美歌を歌っても心が休まりません。ちなみにここでいう『ド』はそれぞれの曲の調を基準としたド(「移動ド」といいます)のことで、ピアノの鍵盤の『ド』の(「固定ド」といいます)、ということではありません。
更にいうとドで終わってしっくりくるのは長調の曲の場合で、短調(悲しい感じ)の曲だとまた違ってきます(ここでは省略)。
どういうことなのか例に挙げてみますので、頭の中で「ドレミ」で歌ってみてください。
<「かえるの歌」の場合>
ドレミファミレド(かえるのうたが)
ミファソラソファミ(きこえてくるよ)
ド・ド・ド・ド・(ぐわ・ぐわ・ぐわ・ぐわ)
ドドレレミミファファミレ(げげげげげげげげぐわぐわぐわ)
<「ぞうさん」の場合>
ドーラソドーラソ(ぞーさんぞーさん)
ドーレミソミミレドレ(おはながながいのね)
ソーミラソミード(そうよかあさんも)
レーミラソドー(ながいのよ)
という感じで何となくしっくりきます。
これはサザエさん、ドラえもん、学校のチャイム、もろびとこぞりて、ディズニーのマーチ、「しっくりくる」曲のすべてに共通しています。
逆の例で言うと、
<「ちょうちょ」の場合>
ソミミファレレ(ちょうちょちょうちょ)
ドレミファソソソ(なのはにとまれ)
(中略)
ソミミミファレレ(とまれよあそべ)
ドミソソミミミー(あそべよとまれ)
何となく落ち着かない感じがしますよね?(もし最後の音が『ド』だったら「曲が終わった感じ」があると思います。)それでも一般に馴染まれているのは、ドミソドを基調とする長調の曲であって、ミで終わるため、それほど違和感を覚えないということだろうと思います(詳しくは省略)。
我らが『君が代』の「調」は西洋的に言うとハ長調です(ト音記号の横に♭も♯もない状態がハ長調、♭が一つずつ増えていくと二・イ・ホ・ロ・ヘという感じになります。♯の場合は短調)。
ただし、本来雅楽をベースとする君が代に西洋音階をあてはめて考えること自体ナンセンスです。おそらく明治初期に楽曲として制定する際に、「(西洋人含む)誰でも演奏ができる形式」として、どうしても西洋音階の形式にあてはめる必要があったのでしょう。(音の高低長短を記号として表現する西洋音階は、簿記や漢字に匹敵する人類の偉大な発明だと思います)
君が代の音階は、
レドレミソミレ(きみがよは)
ミソラソラレシラソ(ちよにやちよに)
ミソラレドレ(さざれいしの)
ミソラソミソレ(いわおとなりて)
ラドレ、ドレラソラソミレー(こけの、むすまで)
と『レ』で終わっています。強烈なまでの「落ち着かなさ」「しっくりこなさ」を感じませんか?(まさに「曲が終わっていない感じ」)たぶんこの感覚は雅楽がベースになっていることと密接に関係しているのだと思います。同じ「落ち着かなさ」を用いた技法は坂本龍一の「ラストエンペラー」の最後などにも使われていますが、国歌としてこういう大胆な技法(「落ち着かない感」)を敢えて用いている国はありません。
・・・と言い切れるほど他国の国歌は知りませんが、
<アメリカの場合>
ソーミドーミーソードー、
(中略)
ドレミーファレードー

であり、少なくとも「しっくりくる」「曲が終わっている感じがする」のではないでしょうか。君が代にはそれがない!それこそ雅楽の真髄!そこがいい!と私は思います。
「雅楽」なのだから日本以外の国の音楽にそういう音階の曲がないのは当たり前ですが、西洋音階が世界を席巻する現代、たいていの外国人は「不思議な音楽」という印象を持つのではないでしょうか。
それともう一つ私が君が代の好きな点は、曲の始めと終わりが「ユニゾン」であることです。「ユニゾン」は「すべての歌い手、楽器が同じ旋律である状態」を言います。歌詞で言うと「君が代は」と「すまで」の部分です。途中の「千代に八千代に~苔のむ」の部分は和音です。しかもその和音が「君が代の和音」としか言いようのない不思議な感じがします(もちろん楽典などを紐解けばコードとしては表現できるのでしょうが、残念ながらそこまで詳しくはありません)。
「君が代は」のユニゾンで静かに始まり、「千代に八千代に~苔のむ」で不思議な和音で盛り上がり、「すまで」のところではいきなりビタッと音が単音に収斂していく感じがどうしようもなく痺れます。
要するに、
『ユニゾンで始まり和音の起伏があり、
最後はユニゾンの「レ」で終わる世界一短い国歌』
(しかも歌詞は五七五七七)
これこそが君が代の楽曲としての魅力だと個人的に考えます。これほど日本を端的に体現する音楽はないと思いますがいかがでしょうか?日本が「東洋の神秘の国」という印象を持たれているのも、この独特の「調」やユニゾン・和音の調和などが影響しているのではないかと君が代を聞くたびに思います。
君が代論議はとかくその「歌詞の意義」に集中しがちですが、楽曲としての評価というものが正当になされていないようで私としては少し残念です。
~~~~~~~~~~
こんな感じです。
音楽を齧ったことがある方には同意いただける(もしくは詰めが甘いと思われる)んじゃないかと思います。たぶんこういった考察をされている方はどこかにいらっしゃるんじゃないかとは思いますが、一応ご紹介まで。
<追記>
日本でも↓こういう歌い方を学校で教えればいいのに。。。
でも日教組なんてものがある限り全国的に盛り上がることはないんだろうなー。
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