天皇陛下御在位二十年

天皇陛下 旗勤め先の最寄りの某JR駅ガード下

ブレブレの写真ですみません(汗
千代田区周辺では数日前から街灯にこんな感じの旗が掲げられています。今日は今上天皇のご即位から二十年を記念して、うちの会社から皇居を挟んで反対側、最高裁判所横の国立劇場で記念式典がありました。ということで、昔話など。

昭和天皇が崩御された昭和64年1月7日、私は中学三年生。受験生だったので学校で模擬試験がありました。当時は今以上にパーな子供だったため、昭和から平成に変わることについて、平成という言葉の響きに対する違和感以外、何の感慨も抱いておりませんでした。敢えて言えば「卒業証書に平成元年って乗るのかー」とかその程度。天皇家の歴史についても歴史の教科書に乗ってるくらい古いということぐらいしか知りませんでしたし、その意味を考えることもありませんでした。良くも悪くも「常にそこにある存在だった」ということです。

数ヶ月後、今でいうカタカナサヨク的な空気に満ち溢れた地元の「自称」エリート進学高に入りました。端的に言えば私含む彼らは、そこそこお勉強だけはできる、お坊っちゃま集団だった安い存在でした。改築寸前の古い校舎だったこともあり、屋上に上がる階段の壁には「天皇制は諸悪の根源」とか「米帝は日本から出て行け」とか、まあそういう陳腐な落書きが溢れていました。パーな私はたいして意味も分からず、かと言ってそういう空気に染まることもなく、順調に「自虐史観」を刷り込まれていきました。

それから10年後。職を探す歳になり、今にして思えば「目覚め」の萌芽とも呼べる事件がありました。今も存命のバーちゃんちに遊びに行った際、どんな仕事に就くかが話題になりました。当時私の父は旧大蔵省の地方の役人をやってました。高校卒業後、彼はそのまま「お役人」になったわけです。私はバーちゃんに「俺はやってて楽しい仕事がよい。ところで父はなんであんな仕事を選んだの?」と尋ねました。
バーちゃん曰く、父はおじさんの伝手で電電公社を受けることになったんだけども、そこが嫌で嫌で仕方がなくて公務員試験を受けて受かった。当然顔を潰された形のおじさんとはそれ以来しばらくの間、水面下での軋轢が生じた、とのこと。
あまりの駄々っ子ぶりに「バーちゃんはそれでどう思った??」と聞くと、

「お国のために尽くすのはいいことだと思った」

との答えが返ってきました。
バーちゃんは「公務員」そのものではなく、職業を自分で選んだことがすごく嬉しかったらしく、「お前もやりたいことやっていいけど、お国のために尽くしなさい」と言われました。
サヨク風が吹き荒れる高校の校歌に「赤き真心捧げ持ち、御国のために尽くすべし」という歌詞がありましたが、それが脳裏を過ぎり、不覚にもその瞬間涙が出ました。それ以来、漠然と「国のために尽くすって、普通の社会人でできることって何?」という漠然とした問いが燻り続けました。
でも、残念ながらそれでもまだ自虐史観からの目覚めの時はやって来ません。

それから数年後の30歳。結婚を機に今の仕事に就きました。当時、島根県議会での「竹島の日」制定を契機に、お隣の国で暴動が起きました。日の丸を踏んづけたり、火を放ったり、投石したり、ニワトリを〆てみたり、まーいつものアレですね。
それまではニュースも触り程度にしか
見もせず基本的にノンポリで過ごして来た訳ですが、ネットで暴動の様子を見かけたので「そんなに謝罪しろ!賠償しろ!ってうるさいなら謝るなり払うもの払うなり、竹島をくれてやるなりすればいいのに」と思いました。まさにアサヒ的究極の発想ですね。今にして思えばそんなノリで30年日本人やって来たのか?!と思うと、ホントに恥ずかしいしゾッとしてしまいますし、何よりも申し訳ない気分です。

さて、インターネットという文明の利器を手に入れた私は「竹島ってどこ?」という軽い気持ちで「竹島」とツールバーに入れてみました。
そして出てくる出てくる。聞いたことも見たこともない、目眩がするような「事実」の数々。免疫がまるでなかった私は、三日三晩パソコンにかぶり付き、ようやくにして「目覚めの時」を迎えました。日本の歴史や抱える諸問題、売国とか自虐史観という言葉、人権擁護法案などに出会ったのもこの時です。

その後の展開はみなさんとほぼ同じだと思いますので省略。

いま、子供ができて、「おじさん」と呼ばれても不思議でない歳になりました。平成になってから20年。この期間は私には価値観の転換が何度も起きた時代でした。

天皇家の歴史は日本の歴史、万世一系のダントツで長く伸びている世界史の年表の赤いバー、今があるのは昔の兵隊さんたちが頑張ってくれたお陰だということ、「天皇陛下万歳」は即「日本国万歳」だということ。。。

など、まだまだではありますが、だんだんと知るようになりました。そしていま日本は有史以来最大の危機を迎えていて、そうした状況の中に生かされていること、子供たちを日本人として生かしていかなくてはならないこと、今日という日は麻生総理大臣として迎えたかったこと。

今日はそんなことに想いを馳せた一日でした。

以上、昔話終わり。
日本に弥栄あれ。

汚らわしくも尊い、首相官邸のページ↓
http://www.kantei.go.jp/jp/gozaii20/

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天皇陛下御在位二十年」への2件のフィードバック

  1. まさに覚醒のお話ですねw
    私の場合、今年の初めぐらいでしたねーw
    ヤハリ、きっかけはネットですよね。

    先日、テレビ朝日で、右翼左翼特集やってて、

    左翼が残存中核派のゴク最近の学生運動的な映像、
    右翼は太ったおっちゃんが例の街宣車で騒音撒き散らす映像。

    この映像自体は、どっちもイタイ人たちだからみんなノンポリでいこうね!
    という、いつもの朝日的メッセージだと思うのですけど、
    右翼のおっちゃんが言ってた台詞が印象的でした。

    「日本国民は、目覚めなきゃいけないんですよ!」

    これ、ノンポリの人がただこれだけ聞いても、
    「うわーいてーなこいつ」
    としか思わないんでしょうね。

    例えば三橋さんなんかが講演会とかで話した後に言うとすれば、
    まだ全然受け取られ方が違ってくるでしょうけどw

    マスメディアってのは腐っても頭脳集団。
    全く、うまいもんですw
    まぁ、街宣自体左翼が殆どという話もあって
    このおっちゃん自体うさんくさかったけどw

  2. 私は目覚めた直後の夏、みたままつりの翌日に靖国神社へ行ったことがありました。そのときは早く行き過ぎて就遊館?もまだ開いてなかったのですが、遠くから日の丸掲げた集団がやってきて??と思ってよく見ると街宣右翼の集団でした。
    軍服のようなきったないヒゲ面のおっちゃんとか頭の黄色いのばかりで、軍隊のまねごとのように敬礼らしきことをしてたんですが、中身ができてないのが丸わかりで全然美しくない。
    その時に「ああ、みんなこういうのを敬遠してるから自虐史観に逃げるんだなー」とハッキリ分かりました。やっぱり三橋さんみたいに理路整然と中身で勝負!(別に見てくれが良くないとかではないです。むしろ彼は私と似てますww)みたいに行かないと、説得力ないですよね。。。

    「保守派=右翼=軍歌鳴らして走る車=ウザい・うるさい・怖い」という負の構図から何とか抜け出さないとだめですが、やはりネックはマスコミだなーと思います。

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